総務課員のひとりごと

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今週のお題「父との思い出」


もう親父が亡くなってから、何年が経つのだろう。

息子が生まれて翌年の5月だから、あれは2002年だったのだろうか。

危篤の知らせを聞いて、大阪から家族みんなで東京まで飛行機を飛ばした。

家族が離れ離れでいると何かと不便なものである。

生前、親父は、家族は一緒じゃなきゃダメだと言っていた。


俺が、小学校に上がる前に、神奈川県の相模原市から東京の渋谷に引越しをした。

姉が、相模原の小学校で、いじめられているのを見て、俺をそのまま学校に
行かせることが嫌だったようだ。


子供というのは以外にも陰惨で、容赦がない。
ムラ社会的な所があって、違うものを受け入れないそんな感情があったのだろう。
相模原の子供からすると、東京から来たちょっとかわいい子供なんては許せなかったのかも知れない。
昭和40年代後半は、まだ、そんな時代だった。


昔は、学校にゴミを焼くための焼却炉みたいなものが必ずあって、その灰をすてる
場所が掘られていた。姉はその穴に落とされたという。


学校の先生が、そのことで家に来たらしいが、どうも姉の方が悪いとの口ぶりで、
親父は激怒したようだ。

やられている方が悪いとはなんとも了見が合わない。


親父は、戦争で、東京から福島に疎開していて、転校生がいじめられたり
自分自身も、嫌な思い出があったのかもしれない。



私自身も、子供を転校させるのはいやだった。


そんな我が家であるが、長男、次女は、今回の転居に伴い、近場ではあるが転校することになった。

隣の学校から越してきただけなのに、息子がこの学校で、いじめにあったという。

前の学校ではそんなこと一切なかったのに。


転校生が来たら積極的に仲良くなるタイプであった自分。

その私からすると子供達が、いじめられることには我慢がならない。


転勤する前に、転校先の学校に相談しに行った。

校長先生とは直接話はできなかったが、教頭先生とは話をすることができた。


この学校は国際理解とのことで、韓国、朝鮮文化の学習がなされている。
特徴のある学校としても有名なようだ。

ちょっと待っておくれ。
おい、その前に、やることはないかい。
友達と仲良くなることを教えてくれ。

隣の友達と仲良くなれないのに、隣の国の人達と仲良くなれるのか?

俺はそう言いたい。

もっと、地に足がついた教育をして欲しい。


そして、俺は今、社命により、熊本で単身赴任をしている。
いつも子供たちと戯れていた日常から、はからずも、一人の時間ができてしまった。


家族はいつでも一緒。離れていてもいつも家族。マルモの歌を思い出す。




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親父との約束はまだ果たせていない。